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東京高等裁判所 昭和45年(う)1334号 判決 1972年11月06日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、<中略>控訴趣意書に記載されているとおりであるから、これらを引用し、これに対し当裁判所は、次のとおり判断する。

控訴趣意一および控訴趣意補充一ないし六について。

所論は、被告人の本件所為は、営業上の運転にしろ、友人とのつき合いのための運転にしろ、さらには、単なるドライブ運転にしろ、自分の人間として生きている価値を実現させるためにやむをえず運転したのである。それは、憲法上の権利を実現することにほかならないのである。しかも、それが間違つた行政指導という事実によりなされたのであるから、これこそ緊急避難行為であるといわなければならない。さもなければ、何人も彼と同一立場においては、これをさけることができなかつたものとして期待可能性のない行為であるとして、被告人は無罪であるという主張であつて、その理由の要旨は、

一、わが国の経済成長から考えれば、光明養護学校のような特殊学校ではなく、普通学校にこそ身体障害者(以下、身障者という。)の施設を造り、そこに収容して普通の人と差別のない教育をすることを考えなければならない。そのうえに、残された能力を発掘させて、社会復帰をさせる方法を考えなければならない時期に来ているのではないかということである。身障者が、社会の同情により、生存することだけしか認められず、人間としてなんら「生の価値」を実現することなく、隔離されたままやがては抹殺されることに対して耐えられない、という意識が強いといわなければならないのである。以上のような意識をもつた身障者は、自己の生活に関しても、自立の道を求める意識は一般人が想像する以上のものがあるといえる。本件被告人としても自立の道を求めて、血のにじむ努力をしていることは記録から推測されるけれども、事実は一般人の推測しうる程度のものではないのである。

二、憲法第一四条は法の下の平等を定めている。これは、単に法律上差別されないというだけでなく、社会生活のあらめゆる面において、平等の取扱いを受けなければならないという趣旨であることは間違いないところである。憲法第一三条は幸福追求の権利をうたつている。前述した身障者の意識を基礎にして、普通人と対等な生活を営むことができることこそ、身障者の唯一最大の権利である。

三、(1)本件被告人が、このような憲法上認められた権利を実現させるには、自動車の運転により自己の肉体を運搬する以外に方法はない。自動車を運転しなければ、被告人は部屋に閉じこもつて、生ける屍となつてしまうのである。(2)弁護人が、原判決で最も遺憾と考えることは、次の二点である。原判決における裁判官の「旅客運送機関、四肢の補助手段を利用して外出すべきであり」という見解が第一点である。被告人にとつて自動車は手足である。被告人は、他の交通機関を利用することは、ほとんど不可能である。電車に乗るために駅まで行くことはできない。バスに乗ることもできない。それができないからこそ、何度も運転免許試験を受け、原付自転車の免許を取得したのである。次は、営業のために運転した場合と、友人を尋ねた等の際に運転した場合を区別している見解である。被告人が営業のため自動車を運転したことは、被告人の最低生活を確保する手段であるから当然のこと、そうでない場合も普通人と同様許されなければならないことである。

四、被告人に運転免許を交付しないのは、被告人にも認められている憲法上の権利を侵害するものとして許されない。(1)、被告人は光明養護学校高等部在学中、通学のための必要から、はげしい練習を重ねた結果、昭和三六年九月四日原動機付自転車(なお、自動車とあるは、自転車の誤記と認める。)の運転免許を取得したのである。以来六年間無事故、無違反運転をなし、主として東京都内を運転し続けて来たのである。その後被告人はあらゆる努力を重ね、軽四輪車の運転技術を覚え、警視庁府中自動車運転試験場へ運転免許の申請をしたが、正規には受理されず、前段階の適性検査により不適格とされた。被告人が、これに不服であつたため、各種手段に訴えて抗議をしたが、結局試験が受けられなかつた。(2)、原判決は、次の諸点については、事実を黙殺している。(イ)、被告人は、本件以外にも度々無免許運転で検挙され、錦糸町の警視庁の交通処理課へ出頭しており、その際被告人の行為は、やむをえないものとして許されたのみか、帰途につく場合、そこのお巡りさんに黙認されたまま、自動車に乗り、自分で運転して帰つていたのである。(ロ)、被告人の住家は、北沢警察署と七〇メートル位しかはなれておらず、同署においては、被告人が無免許で運転している事実を知らなかつたはずはありえない。また、秋葉原の万世橋警察署も、被告人の自動車に注目しながら、交通整理上被告人を援助こそすれ、とがめようとしたことはない。これらのことは、被告人の実技を知つているうえ、あるいは事情を聞いて、それを理解したから、やむをえない行為として認めていたからにほかならない。(ハ)、昭和四四年四月東名、名神高速道路を利用して、大阪を経て四国(徳島)まで単独運転で往復している事実(荒木恵美の司法警察員に対する昭和四四年七月五日付供述調書)。(ニ)、被告人の運転技術は、「運転は普通だと思いました」(色部正人の検察官に対する昭和四四年六月三日付供述調書)、「(被疑者は)、左側端を約三〇キロメートルの速度で運転していたが、運転はスムースであつた」(司法巡査高津原忠作成の昭和四三年一一月七日付捜査報告書)。これらの事実は、被告人に運転技術があり、かつ、真面目に運転していたことを立証するものである。(3)、被告人は、一〇数回にわたつて免許を取得しようとして交渉したが、適性検査不合格ということで、筆記試験も、実技試験も受けさせてもらえなかつたのである。その根拠は、道路交通法第八八条第一項第二号の「口がきけない者」にあたる、同法同条同項第三号、同法施行令第三三条第四号の「ハンドルその他の装置を随意に操作することができないもの」に該当するというのであるが、これは原審において、すでに弁護人が指摘したとおり、法律を拡張解釈したものであつて、この取扱いは不当であり、憲法上の平等を侵害したものといわざるをえない。

五、および六、被告人の行為は、やむをえずなした行為である。(1)、原判決は、「係官の処分に不服であれば、法的な救済手段を通じて、該処分の是正を求めるべきである」というが、受験は無理であるといつて、願書の受理をされないままなんら行政上の手続をしないのである。そのため、一〇数回にわたりお願いに行く以外に手段はなかつたのである。(2)、原審裁判官の身障者に対する基本的な思考が誤りであることは、すでに第三項(2)に述べたとおりであるが、さらに次の点を見逃してはならない。(イ)、自動車の運転をしないでいると、精神面からの作用で体が動かなくなつてしまう。(ロ)、被告人から車を取りあげたら、生ける屍と同然になる。(ハ)、会社に働きに出ても、日当七〇円位でガソリン代にもならない。これらの事実は、被告人から自動車をとりあげることは、被告人の人間としての「生の価値」と幸福を追求する権利を放棄せよということにほかならない。

というのである。

よつて記録を調査し、当審における事実取調の結果をも総合して検討すると、原判決の弁護人および被告人の主張に対する判断は、正当としてこれを肯認することができる。

すなわち弁護人および被告人の緊急避難および期待可能がない旨の主張は、当裁判所においてもこれを採用することができないとの結論に到達したのであるが、以下論旨の細目に即して分説すれば、次のとおりである。

一、について。

心身障害者対策基本法(昭和四五年法律第八四条号)によれば、同法の「心身障害」とは肢体不自由以下第二条列挙の心身障害があるため、長期にわたり日常生活または社会生活に相当な制限を受ける者をいい、すべて心身障害者は個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇が保障される権利を有し(第三条)、国および地方公共団体は心身障害者の福祉を増進する責務を存し(第四条)、心身障害者はその能力を活用することにより進んで社会経済活動に参与するように努め、心身障害者の家庭にあつてはその自立の促進に努めなければならないものとし(第六条)、その第三章には、心身障害者の福祉に関する基本的施策と題し、医療、保護、教育、訪問指導、職業訓練、雇傭の促進、施設の整備その他各般の項目についての基本施策を定め、政府は同法の目的達成のため必要な法制上および財政上の措置を講じなければならないものとしている(第八条)。

右心身障害者のうち身体障害者(以下身障者という。)については、身体障害者福祉法(昭和二四年法律第二八三号)があり、身体障害者手帳、同福祉審議会、同福祉司、更生相談所、更生援護施設に関する詳細な規定を置いている。

右各法律を通読すれば、国は身障者の個人の尊厳を十分に尊重し、その福祉を増進し、身障者にして自立の能力のある者に対しては。その能力を開発し、社会経済活動に参与するとともに、その自立を達成することを期待していることが明らかである。

所論は身障者は普通人と同一の意識で同一の生活をすることを望んでいて、閉鎖的な特殊学校ではなく普通学校に身障者の施設を作り普通の人と差別のない教育を受けさせ、能力を開発して社会復帰をさせるべきである、わが国の現状からすれば、一般社会と隔離された身障者の収容施設で身障者を保護すれば足りるという方策は考え直す時期が来ているというのであつて、身障者の右意識および意欲は十分理解することができるし、身障者の教育および援護施設に関する右提案にも傾聴すべき点があるが、身障者には重度心身障害者(前記心身障害者対策基本法一一条)もあり、重度心身障害者でない身障者も、その障害の程度の軽量に種々の段階があるものと考えられるので、右の提案による普通学校における教育あるいは一般社会と隔離されていない施設における能力開発・自立援護に適する身障者とこれに適しない身障者があるものといわなければならない。

二、について。

憲法第一四条は、法の下の平等の原則を認めているが、各人には経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異が存するものであるから、法規の制定またはその適用の面において、右のような事実関係上の差異から生ずる不均等が各人の間にあることは免れないところであり、その不均等が一般社会観念上合理的な根拠に基づき必要と認められるものである場合には、これをもつて憲法第一四条の平等の原則に反するものといえないことは、すでに最高裁判所の判例が示しているところである(昭和二四年(れ)第一八九〇号同二五年六月七日大法廷判決、刑集四巻六号九五六頁、昭和三一年(あ)第六三五号同三三年三月一二日大法廷判決、刑集一二巻三号五〇一頁、昭和三七年(あ)第九二七号同三九年一一月一八日大法廷判決、刑集一八巻九号五七九頁参照)。

所論は、右憲法の規定を根拠として、身障者のあらゆる社会生活における平等の取扱を主張し、前記特殊学校や社会から隔離された援護施設すら差別されていると考えられるし、横断歩道橋、地下鉄網、ワンマンカーも、身障者の行動の自由を剥奪するものであるから、身障者が行動しうるような別な手段を考えなければ、法の下の平等は生かされていないというのであるが、なるほど身障者がある程度の差別された教育を受け、比較的一般社会との接触の少ない援護施設で保護を受けていること、また、横断歩道橋、地下鉄、ワンマンカーなどの交通施設または交通機関が身障者に不便であることは否定することができない。しかし、それだからといつて、身障者に対する右の差別や不便が憲法第一四条に違反するものであるとは到底解せられない。ただ、身障者福祉対策の前進として、教育、援護施設、交通施設、交通機関、公私を問わず建造物、住宅の改善が早急に実施されることが望まれる。

次に、憲法第一三条のうちに国民の幸福追及の権利が規定されていることおよび国の施策としてこの権利を最大限に尊重すべきことは所論のとおりである。そして、身障者が普通人と対等な生活を営むことができることをもつて最大の幸福と感じ、外出、自動車運転を希望していることに対しては、これを十分理解できるところである。しかし国民の幸福追及の権利にも自ら限界があり公共の福祉に反する国民の幸福追及の権利の行使は許されないものといわなければならない。

三、について。

所論は、被告人が憲法上認められた幸福追及の権利や生存権を実現させるため自動車を運転したもので、被告人にとつては自動車は手足であり、他の交通機関を利用することができないのであるから、営業のためであると友人を訪ねるためであるとを区別せず、自動車の運転が許されなければならないというのであるが、前記二において説示したとおり国民の幸福追及の権利にも公共の福祉に反してはならないとする限界があり、自動車を運転するには、道路交通法その他の関係法令を遵守しなければならない。道路における人身事故その他の危険を防止し、その他交通の安全を図ること(道路交通法第一条参照)は公共の福祉に属し、道路交通法およびその付属法令により各般の交通規制が行われ、自動車運転者の義務が定められ、運転免許制度が確立されていることは、周知のとおりである。国民の一人である被告人の幸福追及の権利や生存権の実現としての自動車運転も、道路交通法関係法令を遵守しなければならず、これを遵守しないで、無制限に自動車運転をすることは許されない。この自動車運転における道路交通関係法令遵守はすべての国民にひとしく適用されるところであり、身障者たる被告人にこれを遵守することを要しないとする特段の理由はこれを見出すことはできない。

被告人が身障者として格段の努力をし、原動機付自転車の運転免許を受け、次いで自動車運転技術の習得に努力したことは、記録上これを認めることができるし、被告人が営業その他の関係から自動車運転による外出を切望していることは十分にこれを理解することができるけれども、運転免許が得られないまま、無免許で自動車運転をすることを許されるものとすることは到底できない。通常人で運転技術があるからといつて、無免許運転が許されないのと同様に、身障者も無免許運転を許されないのである。なるほど、電車、バス等の他の交通機関は現在被告人のような身障者に不便であり、車椅子その他四肢の補助手段による外出にも他人の助力を要する等不自由さがあることは認められるが、かかる不便、不自由は被告人として受忍すべきものといわなければならない。なお、所論の立場からすれば、営業上の場合であると友人を訪ねる場合であるとを問わないこととなるであろうが、原判決がこの両場合を区別して説明したのは、緊急避難の成立および期待可能性の有無を判断するについてであり、これらの事項の判断については、右両場合を区別することは妥当であるといわなければならない。

四、について。

所論は、被告人に運転免許を交付しないのは、被告人の憲法上の権利を侵害するものと主張するが、以下に説示する理由により、到底これを採用できない。

前記三、で説示したとおり、道路交通法は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ることなど(これは公共の福祉に属する)を目的とし(同法第一条)、各般の交通規制を定めるほか、自動車および原動機付自転車の運転につき運転免許制度を確立している。この運転免許制度は、道路交通法の目的達成のための一手段であつて、自動車または原動機付自転車(以下自動車等という)の運転は、その性質上人身事故その他の危険および道路交通の障害を生ずる危険を内包するものであるから、これらの危険を最少限度に抑制するため、運転適性、運転技能、運転知識を十分に備えているかどうかに関する運転免許試験に合格した者に運転免許を与え、運転免許を有する者のみに適法に運転することができるものとしているのである(同法第八四条以下)。右運転免許制度を含む道路交通法の規定が憲法第一四条、第一三条その他の憲法の条章に違反するものでないことはいうまでもなく、この運転免許試験の受験資格は原則として制限がなく、身障者も受験できることはいうまでもなく、身障者で受験し運転免許を受けている者もあるが、ただ同法第八八条第一項は、列挙の一定の年令に達しない者、精神的または肉体的に正常な状態にない者などにつき、免許を与えない旨を定めている。すなわち、同条項列挙の者の自動車等の運転は通常道路交通に危険を生ぜしめるおそれがあるものとして、免許取得の不適格者であるとされているのである。この列挙中本件に関連のあるものは、第二号中「口がきけない者」および第三号中「前号に掲げる者のほか、政令で定める身体の障害のある者」であり、道路交通法施行令第三三条が右の政令にあたるのであるが、本件に関係のあある部分は、同条第四号の「前各号に掲げるもののほか、ハンドルその他の装置を随意に操作することができないもの」である。

ところで、関係証拠によれば、被告人は先天性脳性小児麻痺で四肢が不自由であり、言語発声機能にかなりの障害があり、身障者等級第一種第一級であるにかかわらず、昭和二四年東京都立光明養護学校に入学し、在学中ラジオ、テレビに興味を持ち、その技術を習得し、また、ひたむきな努力をして、昭和三六年九月四日第一種原動機付自転車の運転免許を三輪車(側車付を含む)でブレーキは手または足で操作するものに限るとの条件付で取得し、昭和三七年三月右学校の高等部を卒業し、同年一〇月国立身体障害障害者センターに入所し、テレビに関する技術を習得し、同三九年一月同センターを修了し、父、母と肩書住居に同居し、昭和四〇年二月テレビその他の家庭電化製品の修理業を開店したのであるが、原動機付自転車では、雨天の際に不便であり、東京都内では危険もあり、かつ疲労度が強いため、軽自動車の方が優れていると考えるに至つたこと、これより先昭和三七年一〇月ころから前記センターで自動車の運転練習を始めており、その後自動車を購入し、自動車教習所のコースなどで練習し、ある程度の運転技能を習得することができたので、昭和三九年一一月ころ府中自動車運転免許試験場に軽自動車の運転免許申請をしたところ、不合格とされ、その後一〇回余りにわたつて、免許申請および陳情を続け、かつ、不合格の理由を示すことを要請した結果、昭和四三年一〇月一八日付書簡をもつて、警視庁府中運転免許試験場長小川美治から被告人宛に、運転免許試験の受験については、現時点においては、左記理由による運転適性不適格者と認め、貴意に添いかねる旨の回答があつたこと、その理由は、「一、道路交通法第八八条第一項第二号該当の言語障害者と認定する。二、ハンドルその他の装置を随意に操作することができず、道路交通法第八八条第一項第三号、同法施行令第三三条第四号該当者と認定する。三、右認定は昭和四一年七月二日、同八月二七日の両日、当試験場において実施した試乗審査結果ならびに昭和四三年七月二四日警視庁安全運転学校において実施した検査結果による。」というにあること、昭和四四年一月二一日警視庁運転免許本部長陰山竹一から東京地方検察庁検事山梨一郎宛の捜査関係書類照会に対する回答書によれば、被告人の免許の欠格事由たる身体障害として、「A口がきけない。(発声はできるが常人が聞取できない。)B脳性麻痺による体幹および四肢に強度な麻痺後遺症があつて自動車の装置に補助手段を講じてもハンドルその他の装置を随意に操作することができない。」と記載され、前記府中運転免許試験場長小川美治の回答書に記載された試乗審査結果および安全運転学校の検査結果が添付され(この試乗審査結果および検査結果を本判決末尾に添付する。)、将来合格の可能性の有無等の項に、身体の障害が適性試験に合格するまで治癒するかまたは現在の自動車の運転操作がすべて自動化されるように自動車の構造装置が改良されない限り現時点では将来の可能性の有無について即断できない旨記載され、また、参考事項の項に、第一種原動機付自転車の免許取得につき、昭和三五年道路交通法一部改正により同年一二月二〇日までは第一種原動機付自転車は許可証であつたものであつたところ、昭和三六年八月一四日当時高校通学中の被告人から申出があり約一一回にわたつて身体適格審査の申出が繰り返され、足踏自転車で通学しているが、是非原付一種の許可をされたいとの強力な要請により、足踏自転車の試乗を実施し、その結果、当時の交通実態等を考慮し前記のとおり限定(条件付)免許を与えたものである旨の記載があること、被告人は、前記テレビ修理などの営業を開始した当初は、部品の仕入、修理のための出張、修理品の納入などのため、側車付原動機付自転車を使用していたが、前記の理由により軽自動車を運転する希望を持ち、昭和四二年八月二日原動機付自転車の免許を更新しなかつたので、同免許が失効したことを、それぞれ認めることができる。

そこで進んで、被告人に軽自動車の運転免許を与えなかつた警視庁府中運転免許試験場長の措置が所論指摘のとおり違法であるかどうかについて考察してみると、同試験場長が、被告人を道路交通法第八八条第一項第二号該当の言語障害者と認定した点には、所論指摘のような疑問があるといわなければならない。すなわち、右条項にいう「口がきけない者」とは、「おし」をいい、言語発生の機能を全く失つている者を意味し、言語発声の機能に障害があるに過ぎない者は、これにあたらないものと解すべきだからである。前記認定のとおり、被告人には言語発声機能にかなりの障害があり、発声はできるが常人に聞取ができないところがあるのであるが、親族、友人等が介添することにより言語によりその意思を他人に伝達することができるものと認められるから、被告人を前記のとおり右条項の「口がきけない者」に該当すると認定したのは、右条項の解釈適用を誤つたものといわなければならない。しかしながら、被告人をハンドルその他の装置を随意に操作することができず、道路交通法第八八条第一項第三号、同法施行令第三三条第四号該当者と認定した点については、別添の試乗審査結果および安全運転学校における検査結果ならびに当審証人安田憲吾の供述を仔細に検討すれば、被告人には別添試乗審査結果および検査結果に詳細に指摘されているような自動車運転上の欠陥があるので、これらを総合して、同試験場長がハンドルその他の装置を随意に操作することができないとし、右条項に該当するものと認定したことは正当であり、この点に法令の解釈適用を誤つた違法があるものと解することはできない。結局、前記のとおり、「口がきけない者」についての解釈適用の誤はあるが、被告人に運転免許を与えなかつた措置には結論的には誤はなかつたことに帰着するのである。

所論は、被告人の自動車運転技術が優れていること、長途の自動車運転をした事実、被告人が無免許運転をした際の取扱等を挙げて、右試験場長の免許を与えなかつた措置を論難するのであるが、所論指摘の事実関係によつては、右認定を左右することはできない。

なお、所論は、被告人が前記のとおり、原動機付自転車の免許を有し、六年余にわたり無事故であつたことを挙げ、被告人に免許を与えるべきであつたと主張するが、関係証拠を総合し、関係法令を参照すれば、第一種原動機付自転車の免許試験には、軽自動車の免許試験と異なり、特別の運転技術を必要としないことを理由に技能試験が行われないのであり(道路交通法第九七条)、被告人の取得した免許も前記のとおり技能試験を行なうことなく与えられたものであり、原動機付自転車と軽自動車とはその性能、構造に格段の差があるとともに、そのことから速度制限、免許試験にも差異があるのである。したがつて、原動機付自転車を長年無事故で運転していたとしても、これと種類、性能、構造の異なる軽自動車の免許を与えるべき事由とすることができないことはいうまでもない。

以上説示したとおり、被告人に軽自動車の運転免許を与えなかつた前記試験場長の措置には結論においては法令解釈適用の誤はなくまた所論指摘の被告人の憲法上の権利を侵害した点もないといわなければならない。換言すれば、身障者たる被告人につき、道路交通法の関係法令を解釈適用して被告人に運転免許を与えなかつたとしても、道路交通法の前記関係法令は、前記二、において引用した最高裁判所判例のいう一般社会観念上不合理な不均等な差別をしたものと解することはできず、したがつて、同関係法令に照らし結論的には正当として是認することができる被告人に対し免許を与えなかつた措置は、右不合理、不均等な差別をしたものということはできないから、所論憲法違反の主張は採用することができない。

五、および六、について。

所論は、被告人の本件各無免許運転行為につき、緊急避難および期待可能性がなかつた旨主張するのであるが、この点について、原判決がその主張を採用することができない理由を詳細に説明しているところは、当裁判所においても、これを是認することができる。

以上説示したとおり、論旨は理由がない。

控訴趣意二および控訴趣意補充七について。

所論は、被告人に対する原判決の量刑不当を主張するものである。

しかし、記録を調査して検討すると、本件は、被告人が、昭和三六年九月四日第一種原動機付自転車の運転免許を取得したのに、一回右免許の更新手続をとつただけで、その後は更新手続をしないで、右免許を失効させたうえ、約一年八か月の間前後八回にわたり公安委員会の運転免許を受けないで、原判示各車両の運転を行なつたものであつて、被告人の刑事責任は、決して軽いとはいえず、被告人が身障者であることなどの情状を考慮に入れても、被告人を二年間執行猶予付の懲役三月に処した原判決の量刑は相当であると認められ、被告人においても、右の程度の刑責を負うことは、まことにやむをえないものと考えられる。そして、当審の事実取調の結果を参酌しても、右刑を減軽しまたは執行猶予付の懲役刑を罰金刑に変更するほどの事由があるとは認められない。それゆえ、論旨は理由がない。

警視庁運転免許本部長陰山竹一作成の「捜査関係書類に対する回答」と題する書面中に記載されている荒木義昭に対して実施した試乗審査の結果および安全運転適性審査結果は、次のとおりである。身体障害者、荒木義昭試乗審査等の結果試乗月日 昭和四一年七月二日試乗

試乗者 岡田技師の意見

コースでの操作はできるが、実際に街道を運転することは危険を伴う感じがする。その理由

(1)言語障害。(2)突差の危険に対する処置不能。(3)後方確認充分でない。(4)運転中ハンドルに深々と顔を沈め、前方に対する注意が充分でない。

試乗者 加藤技師の意見

(1)ハンドルは、タグリハンドルを多く伴うので不安定である。(2)前方注視不充分。(3)極端な下見、身体不安定甚だしい。(4)ハンドルのふらつき(直線走行において)。

試乗月日 昭和四一年八月二七日試乗

試乗者 古屋技師の意見  マツダクーペーノークラッチ

1  運転中たえず首を斜上方、左右にふり、時として窓ガラスに頭部を打ちつける。

(1)動いている障害物に対しては、自車の速度を加味して動的障害物との距りとの関係を確認することが要求される。首ふりは確認が正確につかめないうちに首が動くので誤差が生じる。(2)静的障害物に対しては、確認は可能となる。(3)視野は、首ふりにより重復する範囲がなくなり、また必要視界の固定時間が少ないため、視野周辺の影像が不鮮明となるため視野が狭くなる。(4)運転操作は、金身運動が伴なうため上体の固定ができないので、視点の固定ができず、危険防止の予測が困難となる。(5)雨天のワイパーの使用時に視る範囲が限られるので困難性がある。(6)一般的に制動の時機がおそいため、必要的に急制動に近い状態となる。(これは、判断確認の誤差を補うため足の障害によるものである。)。

試乗月日 昭和四一年八月二七日

試乗者 田中技師の意見

コース内で一定の走行はできる。しかし、次の諸点から安全ではないと考えられる。(1)ハンドル操作は両手でできるが、常人よりかなり緩慢であり、危急の場合、急ハンドルによる避難が困難と考えられる。(2)ハンドル操作、ハンドブレーキ等の操作する時、上体および首を左右にふるため、頭部をその都度ぶつけるうえ、前方を正視できないので視野が不安定である。(3)アクセル、ブレーキの操作は左足で一応できるが、アクセル、ブレーキの踏替がうまくいかず、急ブレーキ操作となり、走行に円滑性がない。(4)言語障害甚だしく、緊張すれば、なおはげしくなる。

身体障害者、荒木義昭安全運転学校適性審査実施結果

審査年月日 昭和四三年七月二四日

審査者 警部補佐藤正次郎の意見

1  重複作業反応検査

刺激ランプ(二秒ごとに変化点滅する)提示に対する反応動作が、四肢の運動能力が劣るため、常人に行なう反応検査はできなかつた。

2  速度見越反応検査

運動能力が伴なわない反応検査であるから、常人と変りはなかつた。

3  模擬運転技能診断

(1) ハンドルの回転操作

A右に一回転1/2ハンドルを回転する所要時間は、平均五秒であり、常人は一秒である。

B左に二回転ハンドルを回転する所要時間は、平均六秒で、常人は一、四秒である。

Cハンドルを回転するとき、頭部が運転席計器板下方まで沈む。

Dハンドルを回転する所要時間内は、左右の視野は全く閉される。また、前方に対する視野は約一秒間閉された。

(2)  アクセル、ブレーキペタルの操作

A八〇km/Hまでアクセルを踏ませ、急ブレーキをかけさせたところ、その所要時間は、平均五、五秒で、常人の三、四秒に対し二、一秒の遅れがある。

Bブレーキ踏みこみ時間は、平均三秒で、常人の二、八秒の差〇、二秒で、その差は少ない。しかし、体重を加えてブレーキペタルを踏むため、顔面がハンドル側方まで沈んでいる。

Cアクセルからブレーキに踏み替え時間に差があるのは、右足の運動能力が弱いためである。また、ペタルを右足側面で踏んでいるため、踏みかかえの際踏みはずし、または、ズボンの横をペタルに引つかけるなどの動作があつた。

(3)  クラッチおよびエンジンギャーの操作

クラッチペタルを切るまでの踏力一、二kg(国産乗用車と同一の踏力)を踏むのに、両手でハンドルにしがみつき体重と腕の力を利用し、この操作をしようとして約五秒間経過するもできず、適正なギヤ操作は期待できない。

(4)  運転操作

アクセルからブレーキペタル踏みかえ時の右足の運動能力

A運転開始直後丁字交差点における先入車両優先のための場面では一、五秒(判定最大限)、経過するも、ブレーキペタルを踏み込めない。

B運転開始後一二分後右方よりボールとび出した場面では、二秒(最大判定限)経過するも、ブレーキペタルを踏み込むことができなかつた。

C警音器の使用

運転開始一四分後、徐行すべき場所二か所を通過するさい、突発的危険を防止するために、いずれも左手で警音器を三、四回たたきながら進行した。

D速度感覚

常に加速の傾向を示し、高速道路および甲州街道の追越では、制限速度50km/Hで走行し、速度についての判定は、誤九数となつた。

Eその他

運転操作中の判定は、突発的、複雑性のある動作を要するものは多く誤数を記録した。判定誤数は、常人の四四〇名平均三、三個に対し三三個の誤数を記録しているが、これは運転操作中、注意指導を実施したので、正確な誤数として評価できない。また、指導しなければ、さらに多くの誤数を記録することになる。

よつて、本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法第三九六条により、これを棄却することとし、当審の訴訟費用は、同法第一八一条第一項但書に従い、これを被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決をする。

(真野英一 吉川由巳夫 岡村治信)

【参照 原判決】

主文

被告人を懲役三月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は公安委員会の運転免許を受けないで、

第一、昭和四三年六月一九日午後三時四五分ころ、東京都杉並区永福町三二八番地付近道路において、普通乗用自動車(軽四輪)を運転し

第二、同年七月三〇日午前一一時二〇分ころ、東京都杉並区永福町三七八番地付近道路において、普通乗用自動車(軽四輪)を運転し

第三、同年八月五日午後二時四〇分ころ、東京都杉並区方南二丁目二三番地付近道路において、前記第二の自動車を運転し

第四、同年一一月五日午前零時一五分ころ、東京都世田谷区烏山町八七二番地付近道路において、普通貨物自動車(軽四輪)を運転し

第五、同年一二月一日午後一一時三〇分ころ、東京都杉並区萩窪三丁目一〇一番地付近道路において、前記第四の自動車を運転し

第六、昭和四四年二月九日午前零時四〇分ころ、東京都北多摩郡狛江町和泉二、〇三六番地付近道路において、前記第四の自動車を運転し

第七、同年五月一七日午後三時五〇分ころ、東京都目黒区柿ノ木坂三丁目八番地付近道路において、前記第四の自動車を運転し

第八、昭和四五年二月一四日午後四時三〇分ころ、東京都足立区大谷田新町二丁目六五番地付近道路において、前記第四の自動車を運転し

たものである。

(証拠の標目)省略

(法令適用)省略

(緊急避難および期待不可能性の主張について)

一、(弁護人および被告人の主張)

被告人は先天性脳性小児麻痺であり、手足が不自由であるが、テレビ修理業を営み、営業が軌道に乗るにつれ、秋葉原の問屋街へ部品を仕入れに行つたり、顧客先まで納品に行つたりする機会が多くなつてきた、被告人は原動機付自転車の運転免許を取得し、原動機付自転車を運転して、仕入、故障修理出張、納品をしていたが、東京都内の道路交通が混雑してきたので、原動機付自転車を運転していては、疲労が甚しいのみならず、生命にも危険である。そこで営業を継続するためには、軽自動車を運転する必要がある。そこで府中自動車運転免許試験場に軽自動車の免許申請書を提出したが、運転者不適格者と判定された。同試験場長は昭和四三年一〇月一八日被告人に対し、被告人が道路交通法第八八条第一項第二号の言語障害者に該当することおよびハンドルその他の装置を随意に操作することができないから、同法第八八条第一項第三号、同法施行令第三三条第四号に該当することを通知してきた。しかしながら被告人は口がきけない者ではなく、中等度の言語障害があるのにすぎず、かつ通常人では考えられないような能力を身につけており、十分な運転操作の技能を習得しているのに、同試験場の係官は身体障害者に対し無理解不親切であり、被告人の身体の外観の不自由さのみに気を奪われて不法にも前記のような判定をした。被告人は前後二〇回以上にわたり免許申請および陳情を繰り返してきたが、同試験場の係官は問違つた行政指導をするのみであつて、受験させなかつた。そこで被告人は自活するためには、テレビ修理業を継続する必要があり、そして営業を継続するためには、やむをえず、軽自動車を運転しなければならなかつた。したがつて本件の無免許運転は、被告人の生命および財産に対する現在の危難を避けるための行為であり、かつ無免許運転をしないことを被告人に期待することはできないから、無免許運転は犯罪を構成しない。

一、(当裁判所の判断)

第一、三回公判調書中証人荒木義雄の各供述部分、第三回公判調書中証人荒木恵美の供述部分、荒木恵美の司法警察員に対する供述調書(ただし四枚目裏二行目から第七項の末尾までを除く)、色部正人の検察官に対する供述調書、司法巡査作成の昭和四四年二月九日付および昭和四五年二月一四日付各捜査報告書、司法警察員作成の昭和四三年七月三一日付捜査報告書、警視庁運転免許本部長作成の「捜査関係書類照会に対する回答について」と題する書面、被告人の司法警察員に対する供述調書四通(昭和四四年五月一七日付を除くその余のもの)、被告人の検察官に対する供述調書、被告人の当公判廷における供述によれば、被告人は先天性脳性麻痺で四肢が不自由であり、身体障害者等級第一種第一級であること、昭和二四年東京都立光明養護学校に入学し、在学中ラジオ、テレビに興味を持ち、昭和三六年秋ころ黒川電子研究所のアルバイトではんだづけの技術を習得したこと、同年九月四日原動機付自転車(第一種)の運転免許を取得したこと、昭和三七年三月同学校高等部を卒業し、同年一〇月国立身体障害者センターに入所し、テレビに関する技術を習得し、昭和三九年一月同センターを修了したこと、ところで被告人は父荒木義雄、母同恵美と被告人の肩書住居地で同居し、父は昭和四二年三月高等学校の教員を退職し、会社の電気技術顧問をし、被告人の肩書住居地に居宅を所有しているほかに、床面積延約一九八平方メートルの木造二階建共同住宅を所有して賃貸していること、被告人は昭和四〇年二月肩書住居地に共立テレビサービスなる名称の店舗を構え、テレビその他家庭電化製品の修理業を開店したこと、原動機付自転車では、雨天の際に不便であり、東京都内の道路交通量が頻繁であるため危険であり、かつ疲労度が強いため、軽自動車の方が原動機付自転車よりもすぐれていると考え、昭和三七年一〇月ころから前記センターで自動車の運転練習をはじめたこと、その後軽自動車を購入し、自動車教習所のコース等を使用して軽自動車の運転を練習し、運転操作の技能を習得したこと、昭和三九年一一月府中自動車運転免許試験場に軽自動車の運転免許申請をしたが、適性検査に合格しなかつたこと、しかし軽自動車運転の適性があると主張し、その後一〇回余にわたつて免許申請および陳情を続けたこと、これに対し、同試験場の係官は昭和四一年七月二日および同年八月二七日被告人を自動車に試乗させ、警視庁免許本部安全運転学校では昭和四三年七日二四日被告人の適性検査を実施したが、口がきけないこと(発声はできるが、常人が聞き取りできないこと)および脳性麻痺による体幹、四肢に強度な麻痺後遺症があつて、自動車の装置に補助手段を講じてもハンドルその他の装置を随意に操作することができないことを理由として、被告人を運転者不適格者と判定したこと、ところが被告人は、中等度の言語障害者であるのにすぎず、道路交通法第八八条第一項第二号の「口がきけない者」に該当せず、かつ自動車の運転中、頭が振れるが、前方注視には支障なく、手足が多少不自由であるが、ハンドルその他の装置を随意に操作できるから、同法第八八条第一項第三号、同法施行令第三三条第四号の「ハンドルその他の装置を随意に操作することができないもの」に該当せず、運転者適格者であると主張し、前記の判定に不服であつたこと、開店当初は、部品の仕入れ、修理のための出張、修理品の納入などのため、側車付原動機付自転車を使用していたこと、昭和四二年八月二日原動機付自転車の免許の更新をしなかつたので、失効したこと、本件第二ないし第八の各無免許運転に使用した自動車は、被告人が購入したものであること、判示第一の無免許運転は、友人の石田達夫が判示第一の自動車を購入するにあたり、被告人がその自動車の調子をみるため運転したものであること、判示第二の無免許運転は、テレビの故障の修理に行くため、助手の石田を呼びに行つた際におけるものであること、判示第三の無免許運転は部品のチューナを仕入れに行く際のものであること、判示第四ないし第八の各無免許運転は、業務上の用事がなかつたが、家に閉じこもつていると身体の調子が悪くなり、精神的に安定しないので、自動車を運転して外出した際のものであること、被告人は父から他の職業に変つたらどうかと忠告されたが、テレビ関係の会社に就職したのでは、作業が単純であつて満足できないので、テレビの修理組立一切を自ら遂行して自己の能力を発揮したいと考え、テレビ修理業を継続していたことが認められる。

以上の認定事実によれば、被告人が同試験場の係官の適性検査の判定に不服であつたことは明らかであるが、仮に被告人が自動車の運転者適格者であり、かつ運転操作の技能を有しているのに、かかる適性能力がないと判定されたとしても、直ちに無免許で自動車を運転してもよい理由にはならない。係官の処分に不服であれば、法的な救済手段を通じて、該処分の是正を求めるべきである。

ところで判示第一の無免許運転は他人の購入する自動車の調子をみるために運転したものであるから、弁護人および被告人の主張する緊急避難および期待不可能性にあたらないことは明らかであるので、判示第一の無免許運転についての右主張は採用できない。

次に判示第四ないし第八の各無免許運転は、被告人が業務上の用事がないのに、外出するため自動車を運転したものであり、被告人が手足の不自由なため、通常の方法では容易に外出できないことはうかがわれるが、自ら自動車を運転しないで、旅客運送機関、四肢の補助手段を利用して外出すべきであり、手足を自動車運転の可能な状態に保つための運転であれば、自動車教習所のコースその他の無免許運転者に使用を許されている特別の施設を利用して自動車を運転すべきであり、無免許運転を避けて右のような方法をとるのが相当であり、かつ被告人に右のような方法をとることを期待することができない事情は認められない。したがつて判示第四ないし第八の各無免許運転については、弁護人および被告人の緊急避難および期待不可能性の主張は採用できない。

判示第二、三の各無免許運転は、被告人の営むテレビ修理業に関連してなされたものである。ところで被告人は開店当初原動機付自転車の運転免許を有していたのに、更新しなかつたため、免許を失効させたが、原動機付自転車が自動車に比較して不利不便であることは認められるけれども、東京都内の交通事情が原動機付自転車の運行を差し控えなければならないほど悪化しているものとはいえず、判示第二、三についての業務は原動機付自転車の運転免許を持つていれば、同車を使用しても遂行できることがうかがわれる。被告人としては、自動車の運転免許を取得するまでは、自動車を利用するときよりは、経営規模を縮少して営業を継続するか、第三者の協力を得て経営規模を縮少せず、営業を維持させるか、一時営業を休止して、同種の他の営業所に就職するか、または一時私的、公的な扶助を受けるか等の手段により生計を維持し、自動車の無免許運転を避けるのが相当であり、一般普通人が被告人と同一の地位状況のもとにおかれたとすれば、自動車の無免許運転を避け、前記のような手段を選ぶことが期待できるものというべきである。したがつて弁護人および被告人の緊急避難および期待不可能性の主張は採用できない。

よつて主文のとおり判決する。

昭和四五年四月二七日

東京地方裁判所刑事第二七部三の二係

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